2人目の子どもというのは、言うまでもなく、2歳7ヶ月の娘カリンくんのこと。
カリンは最近自分のことをカリンくんというので、いつの間にかみんながカリンをカリンくんと呼んでいる。
そんな彼女が、魔の2歳児と呼ばれる年齢になり、早7ヶ月。2人目の子どもの成長はなんと早いものかと驚くばかり。アニキが5歳なら自分は4歳くらいの気持ちで生きているのだけど、何と言ってもまだ幼い。
お兄ちゃんがいて、ママがいて、一緒に幼稚園の送り迎えをして、お買い物に付いていって、という日々を送り、そのことに何の違和感もなかったうちは、彼女のこころはとても平穏だったと思う。ところが、気がつけば、ちゃんと自我が芽生えていて、それに誰もまともな注意を払ってくれない、気がついてくれたところで、2番手の希望にされてしまう。「仕方ないでしょ」で、済まされてしまうカリンくんの気持ち。
そのことに気がついたのは、3学期が始まって、幼稚園の送り迎えが始まってからだと思う。いいことも悪いことも頑なにやり続けて、注意をしようものなら、こわれるほど泣き叫ぶようになってしまった。扱いにくいとか、しょうがないと言われる時期だけど、カリンくんは自分はとてもおりこうだと信じている。だけど、それを一緒に信じてくれる人がいないんだとふと気がついた。
肯定してあげよう。心から。
その日から、どんな時もどんなことも認める言葉を投げてみた。
わたしが洗濯物を干しているはしから、濡れているそれをたたみ、ニコニコと棚にしまってくれるカリンくんにも、「すごいねー。たたむの上手だねー。場所がよくわかるね。おてつだい、ありがとう。」と声をかけ、後から引き出しから戻してそっと干したり、大人が驚くようないたずらも、いたずらとは言わずに、「すごいこと、見つけたねー!」と一緒に喜んでみることにした。なんだかわからないけど、泣いて癇癪を起こした時は、とにかく「ごめんねー。」と謝り続けた。
もちろん最初はカリンくんがにこにこしてくれる時間が少しでも長ければいいなというくらいの気持ちだったのだけど、次第にわたしもいつもとなりを歩いているちいさい女の子だと思っていたカリンが、きちんと目の前にきて、ちゃんと目の高さを合わせて話す、ひとりの人間になっていることに気がついた。
生まれた時から、ママはいつも半分こされてた2人目の子どもは、ママの両手を独占することは本当に少ない。首が据わらないうちでも、抱っこは片手でしていたくらいだ。でも、人が理解し合う時には、片手でも片手間でもダメなんだと思う。目の前で、膝を折って、両手を握って、目を見て笑い、語らう時間が必要なんだとカリンくんに教えられた。
夜眠るとき、アラタにはいつも言っていた言葉を、最近は毎日カリンくんに言っている。ゆっくり噛み締めるように。
「今日もありがとう。カリンくんがいてくれて、ママは本当にうれしいよ。カリンくん、パパとママのところに生まれてきてくれて、ありがとう。カリンくんに会えてよかった。ずっとずっと仲良くしようね!」
ひとつひとつに満足げにこくりこくりと頷くカリンくんは、どんなに眠そうでも満ち足りた表情をしている。明日もその笑顔が見られますように。
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